スタッフルーム

目の前の亡骸

約35年前94歳で祖母が亡くなった。
葬儀の前の日、父と父の弟の叔父の二人は祖母の棺の前に座って、何やら静かな声で話し込んでいた。
日頃からあまり仲が良くなかった二人の息子はこの日はとても仲が良さそうに見えた。
母の亡骸を前に息子たちは、彼らの母である「祖母の日記」を読みながら話していた。
その日から二人は仲が良くなるのではないかと思わせた。
火葬場でボタンを押す役をした父は、そこで初めて大きな声で泣いた。
父が泣くのを初めて見た。その姿はあまり格好良いものではなかった。
納骨の日、お墓で神主の祝詞を聞いていた私は、小さい頃から数えられないくらい祖母とお墓掃除に来た事を想い出していた。
「あなたが長男だからここのお墓の守り役ですよ」墓掃除をしながら私への説教は耳にタコができる位聞いてきた。
数百年前からのお墓は、ばかでかく何十もの墓石が並んでいた。
みんな、我家の一族と昔の家来だそうだ。
「冗談じゃない。こんな広い墓の掃除なんてごめんだ」そう思っていたけど、祖母の前では口には出せなかった。
神道の葬儀がすんでみんなが夫々の住まいに戻っていった後、父と叔父は再び仲が悪くなった。

それから15年後父が亡くなった。
病院から自宅に亡骸を運んできて、その夜から朝まで私と父だけになった。
病院で亡くなった時からその夜まで一滴の涙も出なかった私は、父と二人だけになった途端大声で泣いた。無性に悲しかった。
往復ビンタで育てられ、亡くなる数年前から「頼むぞ!」と私の背中を叩いた父が、今息をしないで目の前に横たわっていることが悲しかった。
父の葬儀に叔父は来れなかった。既にアルツハイマーで入院していたからだ。
3年後その叔父も亡くなった。

私には妹と弟がいる。
父と叔父と同じように、私も弟と仲が悪い。
父と叔父との不仲の理由は良く知らない。しかし、私と弟の不仲の原因は明白である。
生産性の無い生き方をしてきた弟はことごとく私を利用していた。
限界を超えたあたりから弟を許せなくなった。母はそれを気にしていた。
車で20分位の場所に住んでいて数年も会わなかった。
その弟が3年前に亡くなった。
亡くなる前の日「あなたに会いたいと言っているから、会いに行ってやって」
母が私を説得に来た。
今まで、どんな病状かも知ろうともしなかった私に、母や妹は「一度でいいから会ってやって」何回か連絡してきたが応じなかった。
母の説得に応えて母と病院に行った。
看護師さんにオムツを替えてもらっていた、数年ぶりに会った弟は痩せ細って見る影も無かった。
「オイ!大丈夫か!」
「うん、大丈夫!」ビックリするほど力強く聞こえた。
それだけで弟から離れた。
翌日早朝、妹から「危篤状態」と電話があり、病院に駆けつけた。
臨終には間に合わず、弟は既に旅立っていた。
霊安室で弟の亡骸を前に、疲れから開放された静かな寝顔は過去を一瞬大きく想い出させた。そして、あっという間にそれは消えた。
数年間でたった一言「うん、大丈夫!」と答えた会話と、亡骸は全てを許すことになった。
母は今でも言う。「あなたと会えてホッとしたのよ」

今、祖母と父と叔父と弟は同じ墓地で眠っている。
何故叔父?、何故弟?が一緒なのか、おかしいんじゃない?と私は思う。

父の「喉仏だけ」は故郷の墓に埋葬しているが・・・・・・・。

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このページは、quintetが2007年12月22日 17:50に書いたブログ記事です。

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